今日から明日へ、時代が動いています。
いろんなことが目まぐるしく起こっています。
思考はどんどん疲れ、追いつかなくなる。
そんな中を毎日毎日
自分と向き合わせれます。
人は膨大な知識や思考を肥大化させ、日々戸惑っています。
ここからの時代では、知識や思考では到底腑に落ちることのない
さまざまなことが今後、起こると思います。
ここからちょっと難しい話になるかもしれません。
言っていることが意味がわからないかもしれないですが
許してください笑
生きていくために本当に必要なこととは。
これははっきりと言えるまでには
相当な修行が必要なのかもしれません。
世の中には
考えなくてはならないことと
全く考えなくていいことがあり、
本当に大切なことと
全く必要のないことがあり、
やるべきことと
やらなくていいことがあり、
このパターンが
無数にいくつかあるんだけど
それらをまとめて簡単に言ってしまうと
今、何が必要で
何が必要じゃないかってことになるんだけど
このジャッジを
どこでやるかで全てが、この先が決まってしまう。
このジャッジは思考で基本的にやっているんだけど
感覚でできると
ある程度が今の現状が把握できることになる。
聞く人によってちょっと話は飛びますが
実は繋がっているんだけど
「私たちのこの住んでる地球では
人間だけが生きてるわけではない。」
これを聞いて
どういう思考が頭の中で渦巻きますか?
あーでもない、こーでもないってなって、
何が正しいのかってなって
そんなこともわからない自分は恥ずかしいはずってなって
そんな当たり前のこと自分はわかってるに決まってるし、
地球には動物もいて、植物もいて、自分達がいるって
思考しまくってなんとなくこうだろうみたいな
答えがフワッと浮かび上がってくる。
でも本来は
思考しなくても感覚でわかっている当たり前のことで、
もっと深く深くにある自分の感覚は
その全てを知っているに違いない。
日本にはもともとその感覚の全てが
教えの中にありました。
神々の言い伝えや、行事、祭りや大体のことには
一人一人に宿っている本来ある感覚に従い
判断していたと思います。
よくわからない話になってるかもしれないですが
要は何が言いたいのかというと
思考しすぎた結果、感覚が失われてきたため
すごくシンプルな自分の感覚や価値に気づかなくなって
思考しすぎちゃって、答えを合わせしすぎてしまって
本当の答えがわからなくなって、自分がわからなくなって
また思考して、人に聞いたり、比べたりして
なんかよくわからない人のことを信用しちゃって
当てるのか、間違ってるのかわからなくなって
また思考して、また違う人に聞いてみたり、、、、
現在はこれがSNSやネットによって加速化しており、
統計的なものしか信用できない思考になっていて
非常に良くない状態にもうすでになってしまった。
すでに現在進行形であるということ。
その上で統計を瞬時で理論的にまた数字的に弾き出す
AIが出てきてしまい、それは猛スピードで押し寄せており
知識や思考に縋り倒してしまった人々は
回避方法をまた思考している。
もう一度、感覚に優れていた感覚のある日々を
過ごしたいと思いませんか?
小学校の頃のあの溢れ出す感覚的な日々を思い出そうと思う。
あれは子供だからと教えられてきました。
子供だからとかそういうことではない。
人間のあるべき姿です。
※殴り書きで書いているため読みにくいかもしれませんが
お許しください。