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ありのままで生きる。
2023.2.27Information

ありのままでいい。

マーケティングとか、ブランディングとか、

そういうことじゃない。

売れるとか、人気を得るためじゃない。

お金を生むためにやるんじゃない。

周りに合わせるんじゃない。

誰かのために生きてるわけじゃない。

絶対に他に責任を押し付けることになる。

自分の人生なんだから、もっともっとありのままでいい。

息苦しい世の中になったね。

大体がくだらない世の中になった。

アホらしくて馬鹿馬鹿しくなる。

頭ばかり使いすぎている。

考えすぎている。

馬鹿になれ。

もっと馬鹿になった方がいい。

自由はいつも、何気ない日々にある。

大体、大体で
それくらい、
基準はいつも自分で決めればいい。

時代、デザイン、モノづくり、全ての本質へ。vo3
2023.2.22Information

生きる上での重要なこと(本質)がとらえずらくなった。

この原因を簡単にまとめると、あらゆることを端折りすぎました。

言い換えるのであれば、自分でやれることを他人や最先端技術に託しすぎた。

それがテクノロジーと言われるものが生み出す利便性、発展を追い求めることが

現在のビジネスという形になっている。

 

お金を生み出さなければ、生きてはいけない。

人はいつしかそう教えられた。

本当にそうだろうか。

 

ここにようやく本質的な、クリエイティブ性と生きると言う根源があると思う。

感じることや、生み出すことの楽しみには必ず初めに

初期衝動がある。

「いい!」とか「綺麗!」とか「気持ちいい」とか

最初の「お!」ってやつ。

そしてその最後に、「いいな〜」や「美味しいな〜」や「気持ちいいな〜」という

感受性がある。

 

わかりやすく言うと

初期衝動に「腹へった」があり、「これ食べたいな〜」があり、

「どうやって作ろうかな?」があり、材料を考え、料理のやり方を思考しアイデアを出しまくって、

「どうやって盛り付けようか?」があって、食べて最後に「美味しい!」と言う感受性がある。

そのあともう少しこうしておけばよかったなとか、振り返りと反省がある。

食べるまでの工程の中に

あらゆるクリエティブが詰まっていて、

この工程には長ければ長いほどドラマ性が存在する。

それが記憶に深く残ったり、またいい思い出となることが多い。

 

只、現在では

初期衝動の「腹へった」があり、「これ食べたいな〜」があり、

「誰か作ってくれないかな?」となって、「よし、ウーバー頼もう!」があり、

食べて「目的のお腹は満たされた」となる。

同じ初期衝動からの目的までがあまりにも単調で

それはお金で誰かがやってくれると言う思考の甘え、怠けから来るものだと

私は思う。

今抱える人類のあらゆる問題、物事の本質は

全てこれで説明ができる。

 

新しいものが生まれない、革新的なものや感動が少なくなった。

これは歳なのかもしれないと思っている方は多いかと思いますが、

いや、時間の使い方や、考え方がお金=効率と言う数字的な思考が強くなっているから

ただ、それだけだと言うこと。

 

初期衝動から行動するには必ず責任が生まれます。

今は責任は圧倒的に追いたくないとう思考になりました。

この逆算性が強すぎることないですか?

よく思い返してみてください。

リスクを負いたくないから手っ取り早く、

売りたい、数を得たい、儲けたいと言う思考から

ものづくり考えていませんか?

それは本当の、本質的なモノづくりではないと私は思います。

初期衝動から、まじめにコツコツしっかりとやれば

それは結果まで時間はかかります。

ただ、そこには素晴らしい人生のドラマが生まれ、感動が感受性に変わり

あなたのセンスにプラス1されます。

お金では買えない、素晴らしい感覚を是非今から手に入れてみてください。

 

 

まずは自分ことは自分でやってみる。
そして本当に困ったりわからなくなった時、人を頼ってみる。
そこで自分ができなかったことを人にやってもらえたという本当の感謝が生まれる。
そして、それぞれに責任が生まれる。
ここで初めて自立というスタートラインに立つことができる。

その先に、本当の自由がある。

 

 

時代、デザイン、モノづくり、全ての本質へ。vo2
2023.2.14Information

 

 

一体何が大切なことなのか。

大切なこととは本当になんなのか。

 

 

こんなことを真剣に考えてる人はいるのだろうか。

もしいてるなら一晩酒を飲みながら、いやとうほど語り尽くしたいほど。

 

掘り下げない人がよく言う典型的なセリフがある、

「そんなものは人それぞれだし、よくわからないし、話しても答えがない」と。

ただ、この議論は思考ストップ状態に陥るほど複雑な話でもないと感じている。

多分、宇宙の仕組みや生命や死などと同じくらいシンプルで

全体の意識の中で一致しないとおかしい事である。

現実として、少し前の昔の時代にはこれらがしっかりと存在していたはずだから。

ただ、本当に本質をわかっている人が今の人に伝えたとしても

大体の人がそれが本当に大切なことを言っているのか

今の時代に生きていると、よくわからなくなると思う。

それを個人の主観で捉えていると見失うし、

個人(他人)の意見を大切にしすぎると本質から大きくブレる。

全体をはっきりと捉えつつ、中心がしっかり自立していないと

その本質は捉えることができない。

そして現在。

個がなくなりつつある中、ルールというものが圧倒的に増え続けた。

ルールがないといけない。

ということは、

大切なことを誰かに決めてもらわないと何もできない。

ということは、

自分で責任を持てなくなる、持たなくて良くなる。

ということになる。

そして、責任を持てない、持たない人が増え続けた結果

ルールや決まり事、してはいけないことが今も増え続け

「いい按配」という非常にアバウトかつ、自分の中にある感覚的、根拠のない自信みたいなもの

わかりやすく言い換えるのであれば、

誰もが持つ自由な心 を全く信じられなくなった。

 

人類は今、何を学ぶのか。

 

「これでいいのだ」  と、バカボンのパパは言う。

自由のその先にある責任ある美しい言葉である。

 

 

この後に続きます。

時代、デザイン、モノづくり、全ての本質へ。vo1
2023.2.7Information

時代が大きく変わり始めています。

毎日毎日、感じることが増えました。
これから少しずつ文章にしていこうと思います。

いつの間にか、日常に戦争が当たり前となりつつある。

自分を強く持たないと立っていられない、そんな時代がすぐそこまで近づいています。

気がつくと、意識や景色は変わりました。

皆に自己プロデュース能力を求められるようになりました。

全てが均一に能力を持たないといけない認識になりました。

個性は圧倒的になくなりました。

情報の量と質が平均的にスペックが上がり、誰もがわかっている気になりました。

数字、いいね、登録者数、再生数、離脱率、クリック数など
数字にばかり意識がいくようになりました。

コスパ、効率が大切とされました。

そして、いよいよモノの本質がわからなくなりました。

もっともっとあるけれど、

全てのゴールはいつも人気や知名度を得ること。

でも学校では競争はしない教育をしています。

叱らない教育をしています。

本気で指導、教育をすることが家庭や学校ではなくなりました。

すごく矛盾が生じています。

一体誰が大切なことを教えてくれるのか。
それすら、わからなくなりました。

これからに大切なこと、
本質に気づかないといけない。
そしてそれらはシンプルなこと。

この後に続きます。