一体何が大切なことなのか。
大切なこととは本当になんなのか。
こんなことを真剣に考えてる人はいるのだろうか。
もしいてるなら一晩酒を飲みながら、いやとうほど語り尽くしたいほど。
掘り下げない人がよく言う典型的なセリフがある、
「そんなものは人それぞれだし、よくわからないし、話しても答えがない」と。
ただ、この議論は思考ストップ状態に陥るほど複雑な話でもないと感じている。
多分、宇宙の仕組みや生命や死などと同じくらいシンプルで
全体の意識の中で一致しないとおかしい事である。
現実として、少し前の昔の時代にはこれらがしっかりと存在していたはずだから。
ただ、本当に本質をわかっている人が今の人に伝えたとしても
大体の人がそれが本当に大切なことを言っているのか
今の時代に生きていると、よくわからなくなると思う。
それを個人の主観で捉えていると見失うし、
個人(他人)の意見を大切にしすぎると本質から大きくブレる。
全体をはっきりと捉えつつ、中心がしっかり自立していないと
その本質は捉えることができない。
そして現在。
個がなくなりつつある中、ルールというものが圧倒的に増え続けた。
ルールがないといけない。
ということは、
大切なことを誰かに決めてもらわないと何もできない。
ということは、
自分で責任を持てなくなる、持たなくて良くなる。
ということになる。
そして、責任を持てない、持たない人が増え続けた結果
ルールや決まり事、してはいけないことが今も増え続け
「いい按配」という非常にアバウトかつ、自分の中にある感覚的、根拠のない自信みたいなもの
わかりやすく言い換えるのであれば、
誰もが持つ自由な心 を全く信じられなくなった。
人類は今、何を学ぶのか。
「これでいいのだ」 と、バカボンのパパは言う。
自由のその先にある責任ある美しい言葉である。
この後に続きます。